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3days4night☆

3days4night☆

3days4night☆
会津と新潟にきてます。
ETC割引+お盆で大大大っ渋滞の中、福島県は湯野上温泉へ。
江戸時代の宿場町として栄えた大内宿は、カヤ葺屋根の家が並び、山、河、霧と、日本画の様な風景が広がってました。

『ならぬものはならぬのです』

会津若松の武家屋敷も見学にゆきました。
白虎隊の壮絶な実話が切なかったです。
ちなみに白虎隊(びゃっこたい)とは、会津戦争に際して会津藩が組織した、15歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊。
軽くはしょって書きます。

本来、城下防衛に当たるべく組織された白虎隊も前線へと進軍。
少年兵の投入が焼け石に水なのは誰もが承知のことであったが、老若男女が玉砕覚悟で臨む戦局にあっては是非もなく、各地へと投入された。
しかし、白虎隊戦死者も少なからずあり、負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びた。だが、ここから眺めた、戦闘による市中火災の模様を、若松城が落城したものと誤認し総勢20名が自刃。19名が死亡した。
だが実際に城は落ちておらず、途中はぐれた庄田保鉄らはその後、鶴ヶ城に入城し、士中一番隊の生存者と共に白虎士中合同隊となって、西本丸を守った。籠城戦は1ヶ月続いたが、最終的に会津藩は降伏した。

その後、一人生き残った飯沼貞吉は、電信技士として維新後を生き抜き、1931年に79歳で没した。
飯盛山での出来事についてその重い口を開いたのは晩年だったそうで、そこから白虎隊の最期の様子が現在に伝わった。ちなみに、日清戦争時に電信技師としてソウルに渡った際にピストルを携帯するように言いつけられたが、「自分は白虎隊として死んだ身である」と断ったという逸話が残っている。
敵に生き恥をさらすくらいなら死ぬ。
白虎精神は、武士道は潔い。
これが正しいか、間違ってるかじゃないけど…、
日本人として知っておかなければいけない歴史の一つだと思います。

さて、越後平野のど真ん中から東京へ帰ります(^_^)

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コメント

りなっち~♪

一昨日(11日)と今朝の大きな地震はさぞやビックリしたことでせう、大丈夫でしたか?
あたしところも一昨日の地震がいちばんヒドかった。。。
名古屋では震度3(守山区は震度4)でしたが、いつ来るかわからない東海・東南海地震に備えて、常日頃の準備を怠らないことがたいせつですよ。りなっちや。
マジで!(-。-)

投稿: クレパト。 | 2009年8月13日 (木) 16:10

ひさびさのカキコ!
「新宿ジャカジャカ」お疲れ様でした!

大内宿、あたしも今年の冬に行ったよ。
雪がすごくて、展望ポイントまで上るのが
大変だったよ。
1本ネギ蕎麦食べた?
すっごい食べるの難しかったよ。

投稿: いちご | 2009年8月14日 (金) 01:18

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